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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)9639号 判決

原告 宇田川広男

原告 宇田川操

右原告両名訴訟代理人弁護士 上野操

右訴訟復代理人弁護士 須永喜平

被告 桜庭壽子

被告 吉田正彦

右被告両名訴訟代理人弁護士 佐藤信男

被告 渡辺高市

右訴訟代理人弁護士 海法幸平

主文

一  被告桜庭壽子、同渡辺高市は各自、原告らに対し各四三五万円及びうち各三九五万円に対する昭和四七年一月一九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告らの被告桜庭壽子、同渡辺高市に対するその余の請求及び被告吉田正彦に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中原告らと被告吉田正彦との間に生じた分は原告らの負担とし、原告らと被告桜庭壽子、同渡辺高市との間に生じた分はこれを二分し、その一を同被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は第一項につき仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

一  被告らは各自原告らに対し各八六九万九〇〇〇円及び右各金員のうち八二九万九〇〇〇円に対する昭和四七年一月一九日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第三請求の原因

一  (事故の発生)

宇田川俊幸(以下俊幸という)は、次の交通事故によって死亡した。

(一)発生時 昭和四七年一月一八日午後九時一四分頃、

(二)発生地 東京都江戸川区宇喜田町二四三〇番地先道路上

(三)被告車(イ) 大型貨物自動車(足立一一や三八七号)

運転車 被告吉田

被告車(ロ) 普通乗用車(足立五も六六二〇号)

運転者 渡辺旬一(以下旬一という)

(四)被害者 俊幸(被告車(ロ)に同乗中)

(五)態様

Uターンした被告車(ロ)の左側面助手席付近に対向直進中の被告車(イ)が衝突したもの

(六)被害者俊幸は前記一八日午後九時四六分死亡した。

二  (責任原因)

被告らは、それぞれ次の理由により、本件事故により生じた原告らの損害を賠償する責任がある。

(一)  被告桜庭は被告車(イ)を、被告渡辺は被告車(ロ)を、それぞれ保有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法第三条による責任。

(二)  被告吉田は、事故発生につき、次のような過失があったから不法行為者として民法第七〇九条の責任

(1) すなわち本件事故は、旬一が被告車(ロ)を葛西橋方面から浦安橋方面に向って進行中、事故現場付近にさしかかり右にUターンし浦安橋方面から葛西橋方面へ進行しようとしたところ、浦安橋方面より葛西橋方面へ進行中の対向車たる被告車(イ)が被告車(ロ)の左側ボディー助手席付近に激突したものである。

(2) 被告吉田は制限時速五〇キロメートルをはるかにこえる速度を出していたことが以下の事実から明らかである。

(イ) 被告車(ロ)は衝突地点から約三〇メートルも先に突飛ばされていること、しかもその方向は被告車(ロ)の進行ないし運転方向と反対方向に飛ばされていることから、衝突時被告車(ロ)により強大な衝突を受けていると考えられる。

(ロ) 他方被告車(イ)自体も衝突時一時ブレーキをかけているにも拘らず、段差のある歩道上にしかもガードレールをへし折り電柱に接触して約一六メートルも先で停止している。

(ハ) 被告吉田自身取調警察官に対し六〇キロメートル位の速度を出していたと認めており、本件現場付近では本件事故時の時間帯には、通常の通行車両はいずれも六〇ないし七〇キロメートル位の速度を出していることからも推測される。

(3) 被告吉田は事故当時、前方注視義務を怠り、自車を減速させたり、早目にブレーキをかけたりすることにより結果発生を回避する行為を怠っていたことは次の事実からも明らかである。

(イ) 本件事故現場は事故時でもかなり見通しがよく、特に対向車たる被告車(ロ)の進行状況は異常なものであるから、前方を注意していれば早目に減速、ブレーキ操作等をしていたはずなのにその形跡が全くない。

(ロ) 被告吉田は被告車(ロ)と衝突の寸前にこれを認議し、ほぼ同時にブレーキをかけたが間に合わず、速度も相当加わっていたこともあって狼狽し、一旦踏んだブレーキをはずしてしまいそのまま歩道上へのし上げてしまったと認められる。

以上の事実から被告吉田には速度遵守、前方注視義務等を怠った過失があった。

三  (損害)

(一)  葬儀費 各一〇万円

原告らは俊幸の事故死に伴い右のとおりの出捐を余儀なくされた。

(二)  逸失利益 一六三九万八〇〇〇円

(1) 俊幸が死亡によって喪失した得べかりし利益の死亡時の現価は、次のとおり一六三九万八〇〇〇円と算定される。

(生年月日等)昭和二九年六月一〇日生の健康な男子。死亡時日本大学工業高等学校普通科第二学年在学中。俊幸の父原告宇田川広男は有限会社宅田川工業所を経営し、家庭は堅実で、教育熱心であって俊幸は右高等学校において優良な成績を示し卒業後は日本大学理工学部に進学し、将来エンジニアになる予定であった。

(稼働可能年数)

昭和五二年三月に大学を卒業し、同年四月一日から就職し、六三才に至るまで稼働し収入を得たであろうと予想される。

(収益) 昭和四六年の労働省労働統計調査部編賃金構造基本統計調査報告(以下賃金センサスという)によれば全産業全男子労働者新制大学卒業者の平均給与額は一か月九万一四〇〇円、その他年間特別に支給される額は三九万六九〇〇円であり、年収は合計一四九万二八〇〇円である。

(控除すべき生活費) 収入の二分の一

(年五分の中間利息控除) ホフマン複式(年別)計算による。

(2) 原告らは俊幸の相続人の全部である。よって、親としてそれぞれ相続分に応じ俊幸の右賠償請求権を二分の一宛相続した。

その額は原告らにおいて各八一九万九〇〇〇円である。

(三)  原告らの慰藉料 各二五〇万円

俊幸の家族は同人の外、父、母(原告両名)、兄の四名で、兄は父の家業を継ぎ、本件事故前までは極めて円満で幸福な家庭であった。そして原告らは、次男である俊幸には本人の希望どおり大学に進学させ卒業後は志望の道に進ませるべく、特にその将来に期待を抱いていた。然るに本件事故により最愛の息子を一瞬にして失った精神的苦痛は到底筆舌に尽し難いものであるが金銭に換算して少くとも各二五〇万円を下らない。

(四)  損害の填補 五〇〇万円

原告らは自賠責保険から既に五〇〇万円の支払を受け、これを前記損害金の一部に二分の一宛充当した。

(五)  弁護士費用 各四〇万円

以上により、原告らは各八二九万九〇〇〇円を被告らに請求しうるものであるところ、被告らはその任意の弁済に応じないので、原告らは弁護士たる本件原告訴訟代理人上野操にその取立を委任し、請求額の五パーセントの手数料及び認容額の一〇パーセントの成功報酬を支払うことを約し、既に各自二万五〇〇〇円を支払っている。従って被告らは少くとも右合計金額の範囲内である各四〇万円を負担すべきである。

四  (結び)

よって、被告ら各自に対し、原告らは各八六九万九〇〇〇円及びうち弁護士費用を除く各八二九万九〇〇〇円に対する事故発生の日以後の日である昭和四七年一月一九日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第四被告らの事実主張

(被告桜庭、同吉田)

一  (請求原因に対する答弁)

第一項は認める。

第二項(一)のうち被告桜庭が運行供用者の地位にあったことは認める。

(二)のうち被告吉田の過失は否認し、その余の事実は認める。

第三項中原告らが自賠責保険金五〇〇万円を受領し二分の一宛充当したこと、親として俊幸の賠償請求権を二分の一宛相続したことは認め、その余の事実は不知。

二  (事故態様に関する主張)

本件事故は、旬一の運転する被告車(ロ)が対向車の進行を無視し、突然Uターンをはじめ、対向車である被告車(イ)の右前方にセンターラインを越えて立塞がったので、被告吉田は慌ててハンドルを左に切り、急ブレーキを踏んだが間に合わなかったものであり、被告車(イ)はまさに左前方の電柱に衝突する寸前で停止した。従って被告吉田には自車を減速させ、或いは早目にブレーキをかける余裕などは全くなく、まして方向を変ずる余地はなかった。この点を詳述すれば次のとおりである。

(一)  本件道路上には別紙図面(丙第一号証添付の見取図にほゞ同じ)点(衝突地点)から東方に、浦安橋から右側三メートル、左側一・五メートルのスリップ痕があった。長さ三メートルのスリップ痕は点から東方六メートルの地点から始っている。被告車(イ)の車長は七メートルなので、地点において被告車(イ)、(ロ)が衝突した後、被告車(イ)が一メートル走行したところでスリップ痕がつき始めたこととなる。このスリップ痕は被告車(イ)のブレーキが後輪に完全に作動したことにより、その後輪が滑走した痕跡であることは疑いがない。

(二)  運転者が自動車を走行させている間に急迫の危険を感じ急ブレーキをかけて自動車を急停止させた場合、その危険を感じとった瞬間から自動車が完全に停止するまでの間には、幾何かの時間を要する。これは制動距離、すなわち空走距離、伝導距離、滑走距離の三者の総和をもって表わされる。普通空走距離は〇・四ないし〇・八秒、伝導距離は〇・一ないし〇・三秒自動車が走行する距離とされる。したがってスリップ痕は運転者が急迫の危険を感じとってから〇・五ないし一・一秒後につき始めることとなる。しかして伝導距離にあってはブレーキが作動を始めているので、自動車の速度は四分の一程度に減少することが知られている。

(三)  証人桜庭は被告吉田が危険を感じとってブレーキをかける直前の被告車(イ)の速度について自分がタコグラフを見ており、これによれば時速約五一キロメートルであったと証言しており被告吉田がブレーキをかけた時における被告車(イ)の時速は約五一キロメートルであったと認むべきである。

(四)  時速五一キロメートルは秒速約一四・一六メートルであり、したがって空走距離は約五・六六メートルないし一一・三三メートル、伝導距離は約〇・三五メートルないし一・〇六メートルとなる。このことから被告吉田が被告車(ロ)について危険を感じた時、被告車(イ)は地点から東方約一二・〇一メートルないし一八・三九メートルのところにあったこととなる。仮りに平均的値をとって空走距離を〇・六秒、伝導距離を〇・二秒走行した距離とすれば、時速五一キロメートルの場合空走距離は、八・四九メートル、伝導距離は二・八三メートルとなり、被告車(イ)は地点から東方約一七・三二メートルのところにあったこととなる。

(五)  被告車(ロ)は別紙図面地点から浦安橋方向(東方)に最初一条、後二条のタイヤ痕をつけて地点に至っていた。被告車(ロ)の衝突後の停車位置および方向から考えて地点における同車は前部を葛西橋方向に向けており、同車が地点においては浦安橋方向に向って走行していたことは疑いがないから、被害車両は地点に至るまでに右に急転回して逆方向に向いたこととなる。この地点から地点までのタイヤ痕は被告車(ロ)の重量が片側の車輪のみにかかり、反対側の車輪が空中に浮いていたことを示すものである。同車は右に急転回したのであるから、左側の車輪に重量がかかることは物理的に不可能なのでタイヤ痕は被告車(ロ)の右側の車輪のものと断定せざるをえない。地点から浦安橋方向に約五・六メートルはタイヤ痕は一条で、その方向は道路の方向と同方向であったがこのことは、被告車(ロ)が正常の方向に直進していることを示している。この時同車の車体は対向車にとっては右側の歩道から約三・四メートルの範囲の中にあり、被告車(ロ)は歩道寄りの車線を進行していたこととなる。

(六)  被告車(ロ)は八〇キロメートル以上の時速であった。時速八〇キロメートルとは秒速約二二・二二メートルであるから衝突時点より〇・五秒ないし一・一秒以前において、同車は地点より葛西橋方向タイヤ痕にそって西方約一一・一一メートルないし二四・四四メートルのところにあったこととなる。

(七)  仮りに被告吉田が危険を感じとった時点を前述の平均的値にしたがって衝突の〇・八秒前とすれば、被告車(ロ)は地点よりタイヤ痕にそって西方約一七・七七メートルのところにあり、それはセンターライン(チャッターバーの北側)より約三メートル北側であったこととなる。

(八)  したがって被告車(イ)、(ロ)の衝突直前被告吉田が衝突の危険を感じ、とっさに急ブレーキをかけた時を右の〇・八秒前とすると、その時被告車(イ)、(ロ)の間の距離は約三五・〇九メートルであったこととなる。

(九)  被告車(ロ)の前輪と後輪の間隔は約二・四メートルであることと実況見分調書のタイヤ痕の前輪、後輪の位置から考察すると、地点より葛西橋方向タイヤ痕にそって西方約二四・四四メートル(衝突前一・一秒前)の地点では被告車(ロ)は進行方向である浦安橋方向に向い東南に約一〇度傾いた角度で、走行しており、約一七・七七メートル(同〇・八秒前)の地点では、約二七度、約一一・一一メートル(同〇・五秒前)の地点では約五〇度となる。

(十)  このようにみてくると前述の平均的値にしたがって空走距離および伝導距離の合計が〇・八秒走行した距離とすれば被告吉田は約三五・〇九メートル前方対向車線、チャッターバー北側より約三メートル反対側(北側)に離れたところに被告車(ロ)の右側前輪があって、約二七度進行方向より自分の方に傾いてきたときに、自車に衝突する危険を感じとったと見ることができる。この被告吉田の判断は妥当であったといわなければならない。

(十一)  四車線の幅員道路で対向車線の歩道側を時速八〇キロメートルで走行してくる車両が自車の前方約四二・三八メートルにあって、その角度を約一〇度自分の方に向けたとき、衝突の危険を感ずることはない。被告車(イ)が地点東方一八・三九メートル被告車(ロ)がタイヤ痕にそって地点西方二四・四四メートルにあったときが、すなわち右と同じ状態である。仮りにこの時被告吉田が危険を感じ、急ブレーキをかけなければならないとして、その時時速五〇キロメートルの制限速度で走行していたとしても制動距離は約二五メートルであるから、被告車(イ)は地点を通過する。したがって被告車(イ)、(ロ)の衝突は免れえない。

(十二)  前述のとおり、被告車(ロ)のタイヤ痕が一条になっている距離は五・六メートルであり同車はこの間正常の方向に進行しているので、被告吉田は全く危険を感ずるわけがない。被告車(ロ)はタイヤ痕が二条に岐れている地点から地点まで右側前輪で三二・九メートル走行しているが、時速八〇キロメートルとして一・四八秒弱かかる。衝突時点より一・四八秒前被告車(イ)は、右の空走距離を〇・六秒、伝導距離を〇・二秒走行した距離として、時速五一キロメートルの場合、〇・八秒前には前述のとおり地点東方約一七・三二メートルの地点にあったので、さらに〇・六八秒間時速五一キロメートルで走行した距離、約九・六二メートル東方の地点にあったこととなり、地点東方二六・九四メートルの地点にあったこととなる。しかして時速五〇キロメートルで走行していたとして、制動距離は前述のとおり約二五メートルであるから被告車(イ)は制限速度で走行し被告車(ロ)が進行方向正常に走行しているときに危険を感じて急ブレーキをかけたとしても、地点東方一・九四メートルの地点でしか停止しえない。被告車(ロ)の進行状況からみて同車が地点で被告車(イ)と衝突しなかったとすれば地点の被告車(ロ)を南方(別紙図面下方)にずらした形で移動したであろうことが推定される。しかして被告車(ロ)の車長は約四・四メートルなので、少くとも同車後側部は地点東方四・四メートルの地点を通過する。したがって、この場合においてすら被告車(イ)、(ロ)は衝突は免れえない。

(十三)  このように被告吉田は被告車(イ)、(ロ)の衝突を未然に防止することは不可能であったのである。しかして被告車(ロ)にはブレーキをかけた痕跡は全くない。被告車(イ)が仮りに停止していたとしても大型ダンプの同車にトヨペット・ステーションワゴン(被告車(ロ))が時速八〇キロメートルで衝突していけば大破を免れない。被告車(イ)、(ロ)の衝突が免れなかった以上、被告車(ロ)の大破、したがって同車の運転者、同乗者の死亡もまた免れえなかったものである。

本件事故は被告吉田にとっては全くの不可抗力であった。

三  (抗弁)

(一)  (免責)

右のとおりであって、被告吉田には運転上の過失はなく、事故発生はひとえに旬一の過失によるものである。

また被告桜庭には運行供用者としての過失はなかったし、被告車(イ)には構造上の欠陥も機能の障害もなかったのであるから、被告桜庭は自賠法第三条但書により免責される。

(二)  (過失相殺)

仮に前項の主張が理由がないとしても、俊幸は、旬一が法定の運転資格がなく、かつ運転技量も必ずしも定かでないことを当初から十分知りながら同人の運転する車両に同乗したので過失相殺がなさるべきである。

(被告渡辺)

一  (請求原因に対する認否)

第一項は認める。

第二項(一)のうち被告渡辺が被告車(ロ)を保有していたことを認める。

第三項中、本件事故当時俊幸が日本大学工業高等学校普通科第二学年に在学中であったこと、原告宇田川広男が鉄工業所を経営していること、原告らが親として俊幸の賠償請求権を二分の一宛相続したこと、自賠責保険金五〇〇万円を受領し二分の一宛充当したこと、原告ら代理人に本件訴訟手続を依頼したことは認め、その余の事実は不知。

二  (抗弁)

(旬一の本件事故前の行動)

本件事故発生日である昭和四七年一月一八日当時、旬一と俊幸は日本大学工業高等学校普通第二学年の同級生であった。同日旬一は数学の宿題を午後八時頃までかかっ仕て上げ、その後俊幸からの呼出に応じて被告高市所有の被告車(ロ)を無断で運転して本件事故に至った。

(1) (免責)

俊幸が被告車(ロ)に乗車したのは、無断、無償であって被告渡辺に運行供用者としての責任はない。

すなわち、本件事故当時被告車(ロ)は被告渡辺方を出て、原告方方面に向い、それから本件事故地点を進行したと推定される。

そして同被告としては、旬一が被告車(ロ)を運転することがわかっていれば絶対に中止させていたものであり、もし同人が無免許で運転し、かつこれに俊幸が同乗することを知り或は予め知りえたならばなおさら旬一の運転を禁止し、俊幸の同乗を拒絶していたものである。

他方俊幸としても、旬一とは同学年同クラスであり、学校生活では勿論、学校外での生活も十分相互に知りつくしていたもので、年令的にみても本件事故前自己が同乗しようとする車両を旬一が運転免許を有して運転するものでないことを事前に十分知っており、或いは少くとも知りえた筈であった。

そして俊幸の同乗が一因となって前記事故発生地点を走行し、Uターンすることになったと思われ、このような経過と事故発生時の運行目的等からしても被告渡辺には運行供用者としての責任はない。

(2) (過失相殺)

仮に前項の主張が理由がないとしても、俊幸は、旬一が法定の運転資格がなく、かつ運転技量も必ずしも定かでないことを当初から十分知りながら同人の運転する車両に同乗しかつ同人の運転の開始、継続についておそらく異議を申し述べなかったのではないかと考えられ、このことは、右運転行為の結果を甘んじて受入れることを認容或いは少くとも黙認していたとも考えられる。その上、本件事故の要因となった旬一の自動車運転が俊幸からの呼出或いは誘いを受けて俊幸方を訪問したものと推認される。よって本訴請求額に対して七割以上の過失相殺がなされるべきである。

第五抗弁事実に対する原告の認否

(一)  被告桜庭、同吉田の抗弁事実中旬一が無免許運転であったことは認め、その余の事実を否認する。

(二)  被告渡辺の抗弁事実中旬一が無免許であったことは認め、その余の事実は否認する。

被告渡辺の被告車(ロ)に対する管理方法、管理状況、キーの管理状態、旬一に対する監督、監護等について十分な過失があるので、同被告の主張は失当である。又被告車(ロ)を旬一が運転し俊幸が同乗するに至った契機は、俊幸に誘われたからではなく、旬一が俊幸方へふと訪れ、同人を誘いに来たのである。

第六証拠関係≪省略≫

理由

第一(事故の発生と責任の帰属)

一  請求の原因第一項は当事者間に争いがない。

二  そこで本件事故態様について検討する。

≪証拠省略≫を併せ考えると次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(1)  本件事故現場は、浦安橋方面(東)から、葛西橋方面(西)に走る車道幅員約一六・六メートル、片側二車線、アスファルト舗装の平担な直線道路(以下本件道路という)である。センターラインは幅〇・六メートルのチャッターバーとなっている。車道の両側には幅員約四・五メートルの歩道があり、歩車道の境目にガードレールが設置されている。

夜間の照明としては水銀灯が約六〇メートルおきに道路両側の地上約七、八メートルの高さに交互に設置され、本件道路上現場付近の見通しは夜間でもよく、前方から来る対向車は三〇〇ないし四〇〇メートル先から確認することができる。夜間の交通量はそれほど多くなく、実況見分時(昭和四七年一月一八日午後一一時五分頃)において東西各方向に、各五、六台であった。本件道路の最高速度は時速五〇キロメートルと定められ、Uターンは終日禁止され、車両横断は午前七時から九時、午後五時から七時まで禁止されている。

本件現場付近の状況及び事故態様はおおむね別紙図面のとおりである。

(2)  上り車線上衝突地点から東方に右側(被告車(イ)の進行方向から向って。以下同じ。)三メートル、左側一・五メートルのスリップ痕があった。下り車線上右側縁石から約三・四メートルの地点から東方に向けタイヤ痕があり、右タイヤ痕は一本から徐々に二本に分かれ衝突地点まで三八・九メートルと三八・五メートルの長さであった。

(3)  被告吉田は浦安橋方面から葛西橋方面に向け被告車(イ)(空車)を運転進行し、衝突地点十数メートル手前で右前方から自車進路に向って進行してくる被告車(ロ)を認め、ブレーキをかけたが及ばず自車右前部と被告車(ロ)の左側面助手席部分が衝突し、被告車(イ)は別紙図面点で、被告車(ロ)は②点でそれぞれ停止した。

(4)  衝突後被告車(ロ)は前部を葛西橋方向に向けていた。

(5)  被告車(イ)の右角前部バンバー、ライトに約二〇センチメートルの凹損があり、右前部の前照灯、両補助灯がつぶれており、車のエンジン部付近から黒いオイルが路面にしたたり落ちていた。

被告車(ロ)は左側面が全破、助手席が約三〇センチにわたり凹損し、車は菱形に変形し、運転席のドアは閉らなくなり、ハンドルは効かない状態であった。

三  (被告桜庭、同吉田の責任)

(一)  本件についての被告吉田の過失については、主として前認定の事実から推認する外ないのであるが先ず次の点は容易に認定できる。

(1)  被告車(ロ)が衝突地点手前約四〇メートルのところで進路を右斜にとり(その理由がUターンなのか、ハンドル操作の誤りかはわからない)、約三九メートル近く進行方向へ寄りながら進行を続け、センターラインを越えて被告吉田の進路前方に入った。

(2)  被告車(ロ)は地点に至ったときは方向を転回して車体がほゞ逆方向を向いていた。

(3)  被告吉田は衝突地点十数メートル手前までは被告車(ロ)を全く認めていなかったか又は自車進路に進入してくることを予見していなかった。

(4)  同被告は被告車(ロ)に危険を感じて急ブレーキをかけたが間に合わず衝突した。

(二)  被告車(ロ)の速度については、前認定の同車及び被告車(イ)の衝突後の移動方向、状態、タイヤ痕の状況、両車の破損状態を併せ考えると証人桜庭光夫の被告吉田からの伝聞にかゝるという時速八〇キロメートル又は一二〇キロメートルという証言を直ちに採用できないにしても相当高速度であったと推認される。

一方被告車(イ)の速度について、右証人はタコグラフが五一キロメートルを示していたというが、右タコグラフが提出されていない上、実況見分をした警察官小山務も、タコグラフは見たことなく、被告吉田は取調の際六〇キロメートルを出していたことは認めていたと当裁判所において証言しているので直ちに被告車(イ)の速度を五〇キロメートル前後と断定することはできない。

以上の事実をもとに原告が被告吉田の過失として主張する速度違反、前方注視義務違反について考えると、そのうち前方注視が十分なされていなかったことは認められるけれども、仮に被告吉田が前方をよく注視しながら制限時速である五〇キロメートルで進行していたとしても、被告車(イ)の空走距離等を考えると、被告車(ロ)の速度如何によっては衝突を回避しえなかったことも十分考えられる。

してみると被告吉田について結果発生に因果関係のある速度違反、前方注視義務違反があったとの立証がなされたものと認めることができず、他に同被告の過失を認めるに足る証拠はない。従って被告吉田に対する民法第七〇九条による請求は失当である。

(三)  次に被告桜庭の責任について考える。

立証責任の法理に従い、本件事故態様に即して考えると、同被告が免責されるためには、少なくとも次の事実が完全に立証されなければならない。すなわち被告吉田が制限速度を遵守していた場合には、(1)被告吉田は前方注視を怠らず、被告車(ロ)の進行状態が自車に危険を及ぼす可能性があると判断した時期が遅れなかったこと(2)危険を察知してから衝突に至るまでの措置が万全であったこと(3)以上(1)(2)の点について誤りはなかったが、被告車(ロ)の速度、進入態様から被告車(イ)としては衝突を避けられなかったこと(4)被告車(イ)(ロ)の衝突、或いは俊幸の受傷が避けられなかっただけでなく、俊幸の死を招くことも不可避であったことが、又被告吉田が制限速度をこえていた場合には、右の外、速度違反が被告車(ロ)の速度、進入態様からみて俊幸の死の結果と因果関係を有しないことが立証されなければならない。しかしながら本件全証拠によっても以上の点を立証するには十分でなく、被告車(イ)の運行供用者の地位にあったことを争わない被告桜庭は、その余の点につき判断するまでもなく自賠法による責任を免れることはできず、原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

四  (被告渡辺の責任)

被告渡辺が被告車(ロ)を保有していたことは原告と同被告との間で争いがない。そこで同被告の抗弁について検討する。

(一)(1)  ≪証拠省略≫によれば、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(イ) 本件事故当時、俊幸と旬一は日本大学工業高等学校普通科第二学年の同級生であった(この点は原告と被告渡辺との間で争いがない)。旬一は当日学校から出された数学の宿題を仕上げた後夕食をとり八時頃まで家族と共にテレビを見た。その後旬一の父被告渡辺は風邪をひいていたため先に寝たが、その際旬一も今日は早く寝るといって祖母と一緒に寝るため離れに行った。その後被告渡辺も旬一の母渡辺喜実も旬一の行動については事故発生後警察から知らされるまで知らなかった。

(ロ) 旬一方にはトラック一台とライトバン一台(被告車(ロ))があり、車庫は同人方から四、五〇メートル先にあった。被告車(ロ)の管理は被告渡辺がしていたが、車の鍵は車庫の中にあるロッカーに入れ、右ロッカーの鍵は被告渡辺が作業ズボンのポケットに入れて居室の方にかけておいた。

(ハ) 旬一は前同夜八時過に家人に無断で被告車(ロ)を持出し、同夜九時少し前頃俊幸方を訪れた。

(ニ) 一方俊幸は、同日七時前頃まで数学の宿題をした後夕食をとったが、旬一が訪れた後五分位して外出し、本件事故に至った。

(2)  後記過失相殺の項で認定するとおり俊幸は旬一が無免許であることを知っていたこと推認される。

(3)  なお、事故当夜俊幸と旬一のいずれが相手を誘い出したかは、本件全証拠によるも確定できない。

(二)  以上認定の事実によっては、被告渡辺の被告車(ロ)に対する運行支配は本件事故当時未だ失われていたとは認められず、他に被告渡辺の主張を認めるに足る証拠もない(なお同被告は、旬一が無免許運転すること、更に俊幸がこれに同乗するようなことを知っていれば、旬一に運転させなかったし、俊幸の同乗も拒絶しなかったであろうと主張し、これに沿う被告渡辺高市の供述もあるけれども、このことは右認定を左右するものではない。)。従って同被告は運行供用者として本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

第二(損害)

一  葬儀費 各一〇万円

≪証拠省略≫により認められる。

二  逸失利益 各六六一万円

(一)  ≪証拠省略≫によれば、俊幸は昭和二九年六月一〇日生の男子であって本件事故当時健康で、日本大学工業高等学校普通科第二学年に在学中であったこと(この点は前認定のとおり)、俊幸の父原告宇田川広男は有限会社宇田川鉄工所を経営していることが認められる(原告と被告渡辺の間においては、原告宇田川広男が鉄工所を経営していることは争いがない)。

昭和四八年度の労働者統計情報部編賃金構造基本統計調査報告(以下賃金センサスという)第一巻第二表新高卒男子労働者の平均賃金によればきまって支給する現金給与額一月一〇万一二〇〇円、年間賞与その他特別給与額三二万七八〇〇円であるから、俊幸はもし事故にあわなければ高校を卒業した後一八才から六七才まで稼働し、少くとも右の程度の年収をあげえたと推認され、生活費として収入の二分の一、就職するまでの養育費として一二万円を控除し、年五分の中間利息の控除につきライプニッツ計算により算出すると死亡時における逸失利益の現価は、次のとおり一三二二万円(万円未満切捨)となる。

(一〇一二〇〇×一二+三二七八〇〇)×〇・五×(一八・二五五九-〇・九五二三)-一二〇〇〇〇×〇・九五二三一三二二〇〇〇〇

なお原告らは俊幸の逸失利益の算定にあたり大学を卒業したことを基礎にするように主張するが、本件に顕われた資料のみでは未だ大学卒業を基礎にするには不十分である。

(二)  原告らが俊幸の親として同人の右逸失利益を二分の一宛相続したことは当事者間に争いがない。従ってその額は原告らにつき各六六一万円となる。

三  原告らの慰藉料 各二五〇万円

俊幸の年令、原告らの身分関係、その他事故発生年度その他の事情(俊幸の過失を除く)を考慮し、右の額を相当と認める。

四  過失相殺

旬一が無免許運転であったことは当事者間に争いがなく≪証拠省略≫によって認められる、旬一の年令や俊幸と旬一の日頃の交友関係からみて、俊幸は旬一が無免許運転であり、運転技量にも劣ることを知りつつ、同乗していたものと推認され、この認定を左右するに足りる証拠はない。そして前認定の事故態様からみて、本件事故発生の一因は旬一の無免許ないしは運転技量が劣っていたことにあると推認されるから、俊幸にも事故発生によって損害を蒙ったことについて不注意があったものと云うべく、この点を原告らの損害算定につき斟酌することとし、被告桜庭、同渡辺は、前認定の原告らの損害各九二一万円のうちほゞ七割にあたる各六四五万円を賠償すべきものと判断する(なお被告渡辺の主張する好意同乗の点は、俊幸が被告車(ロ)への同乗を積極的に依頼したことその他の好意同乗減額を認めるに足る十分な証拠がない。)。

五  損害の填補 五〇〇万円

原告らが自賠責保険金五〇〇万円を受領し、これを原告らの損害の一部に二分の一宛充当したことは当事者間に争いがないのでこれを控除する。

六  弁護士費用 各四〇万円

以上により、原告らは各三九五万円を被告桜庭、同渡辺に対し請求しうるところ、≪証拠省略≫によれば、右被告らは、その任意の支払をしないので、原告らは弁護士たる本件原告訴訟代理人上野操にその取立を委任(この点は原告と被告渡辺の間では争いがない)し、請求額の五パーセントの手数料及び認容額の一〇パーセントの成功報酬を支払うことを約し、既に各自二万五〇〇〇円を支払っていることが認められる。そして本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らし、右被告らに負担させるべき弁護士費用相当分としては、原告ら請求の各四〇万円は相当である。

第三(結び)

よって被告桜庭、同渡辺は各自、原告らに対し、各四三五万円及びうち弁護士費用を除く各三九五万円に対する事故発生日より後である昭和四七年一月一九日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務があり、右の限度で原告らの請求は理由があるから認容し、右被告らに対するその余の請求及び被告吉田に対する請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤壽一)

〈以下省略〉

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